10年熟成させていた積み本を読んだ 「愛するということ」

大体10年前、大学1年生のときに、今や名前も曖昧にしか覚えていない教授がおすすめだと言っていたからなんとなく買ってみて、ずっと積んでいた「愛するということ」を読んだ。
本を買ったときから何度も引越しをしたけど、いつか読むかもと手放さずに持ち続けていた本だ。
難しくてふわふわと読んでしまったところもあるが、興味深い本だった。

 

 

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この本は「孤立こそがあらゆる不安の源なのだ」というところから始まる。
愛や恋だけの話と思って買ったんだろうし、そう思って読み始めたけど、今わたしが抱えている孤独感とも関連する話かもしれないなと思いながら読み進めた。

 

この本の最も大切なテーマは、「愛は技術だ」「愛されることより愛することが大切だ」という部分なのだけど、本の後半で出てくる「愛は決意であり決断であり約束」という言葉が特に好きだ。
わたし自身、「愛するっていうのは愛するって決めることだ」と思っていて、根本の部分の考え方が近いのでこの本の論理は納得しやすかった。
もしかしたら、今まで出会ってきた人や読んできた文章など、わたしに影響を与えてきた誰かや何かがフロムの影響を受けていたりしたのかもしれないな、と縁を感じた。

 

 

 

読んでいて、今のわたしに必要な考え方だな、と思った部分が三つある。

 

一つは、神への愛の項目で語られる「完全無欠の神それ自体は存在し得ない」「これは完全無欠の神ではない、という否定系を集めることでしか神の存在について語ることはできない」という主張。
確かに、完全とか永遠とか無限とか、そういった概念は直接見たり触れたりすることができない。

 

この話を読みながら、わたしはどこかで「完全な幸せ」を求めてしまっているのかもしれないなと思った。
「完全な幸せ」は存在し得ない。
わたしが幸せなのに満たされないのは、ありもしない「完全な幸せ」と比べて足りない部分を見てしまっているからなのかもしれない。
そう気づいたらちょっと楽になった。

 

二つ目は、受け取ることではなく与えることこそが豊かさである、ということ。
論理としては元々その通りだと思っていることだが、わたしは今、貯め込むのに必死で、あまり人や社会に何かを与えられていないと思う。
仕事をしていないから、お金を使うことが不安だ。
とはいえ、与えるっていうのはお金とか物質に限ったことではないので、知識や経験を与えることとかそれこそ愛情を与えることも豊かさなんじゃないか。
そういう意味では、こうしてブログを書いて、考えていることや感じていることを共有することも豊かさの一つなのかもしれない。

 

三つ目は母性愛と父性愛について。
母性愛は無条件の愛、父性愛は条件付きの愛のこと。
母性愛が何もしなくても愛されることに対して、父性愛は何かができたから得られる承認のような愛。
わたしは、わたし自身に対して、母性愛は十分に持っているように思う。
だけど父性愛は足りていないな、と感じた。

 

メンタルを壊してから、とりあえず休むこと、自分を守ることに必死だった。
それ自体は仕方のなかったことだけど、とりあえず生きる、以外のことは疎かになってしまっていた。
例えば、太った。すごく太った。最近ダイエットを始めた。
今までは、「太ろうがなんだろうが生きてるからいいよ」という母性的眼差しを自分に向けていたが、これからは「健康的に過ごしたから良い」「不健康に過ごしたから悪い」というような父性的な眼差しも必要だなと思った。

 

 

 

時間を空けて、何度か読み返したい本だな、と思ったので、今後思い出したときにまた読もうと思います。

おすすめです。

 

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