人の悩みを聞くとき、自分も助けられている

最近、とある友達の悩みを聞くことがしばしばある。
悩みの内容は関係ないのでここでは書かない。
悩みを聞いて、相槌を打って、時には質問したり解決案を考えたりするのは、わたしにとってもなんだかいい影響がある気がする。

 

 

 

今はそうでもないが、わたし自身、昔は結構悩みが多かった。
多かったというか、ずっと解決できないモヤモヤがあって常に悩みを抱えていた、という方が正しいかもしれない。

 

人に弱みを晒すのは苦手だったが、幸いなことに話を聞くのが上手な人が周りに何人かいて、いろいろな人にちょっとずつ話を聞いてもらって、少しずつ助けられてきたのだった。

 

 

 

今、友達の悩みを聞いていて、わたしの返す言葉が役に立っているかどうかはわからない。けれど話を聞いてくれる人がいるという事実がきっと友達の心を少しだけかもしれないが軽くしているだろうと思う。

 

そして、誰かを助けている、誰かの役に立っているというのは、わたし自身の気持ちも助けてくれる。

 

 

 

今、わたしは、躁鬱病の影響で仕事をしていない。
人聞きの良い言い方で言えば専業主婦だが、自認としては無職とかニートという感じ。

 

無職、仕事をしていないから楽だと思われるかもしれないし、実際仕事をしていない楽さはあるが、社会とのつながりの薄さに苦しくなるときがある。
誰かの役に立ちたい。社会の役に立ちたい。
働きたい。でも働けない。

 

 

 

だけど別に、働いていなくたって誰かの役には立てるんだ。
お金という目に見える形にならなくても、小さいことでも、誰かの役には立てる。

 

今だって友達がいる。夫がいる。実家の家族もいる。
その人たちのために何かをすることはいつだってできる。
ボランティアや寄付でもすればそれ以外の誰かの役に立つことだってできる。

 

 

 

わたしみたいに働いていない人じゃなくても、誰かを助けるってことは同時に自分も助けられることだと思う。
誰かのために何かできることは嬉しい。
自分が誰かの役に立つことは嬉しい。

 

これは逆に言えば、助けを求めているときは必要以上に遠慮せずに誰かを頼っていいということでもある。

 

 

 

話の終わらせ方がわからなくなってしまったけど、そう思うと少し生きやすくなる気がしませんか?