「誰かが嫌い」でも「わたしが嫌い」でもなく、「違う形のコミュニケーションが好きなんだな」と思えてよかった

昨日、ちょっと多めの人数で遊んで、そのまま夕ご飯に焼肉に行った。

 

遊んでいる間は楽しかったのだけど、ご飯の時間が少し苦痛で。

「1人で絵を描いたり本を読んだりしている方が楽しいのにな」なんて考えながら焼肉を食べていた。

 

メンバーは比較的仲が良くて、よく遊ぶ人たちなのだけど、そういう風に思ってしまうことが結構頻繁にある。

遊んでいる間は楽しくて、でもご飯を食べる時間になるとつまらなくなってしまう。

昨日は特に、メンバーのうちの1人の悪気なしに言った言葉がわたしにとっては嫌だったりして、解散してからもモヤモヤとしていた。

 

 

 

昔のわたしだったら、面白い話題を出せないわたし自身が嫌になったり、自分の話題のなさ、中身のなさに嫌になったりしていたかもしれない。

実際、今のわたしも少しそうなりそうだった。

だけどゆっくり考えているうちに、わたしは多めの人数で話すのよりも少なめの人数で話すのが好きなだけだな、と思った。

 

 

 

こうやって文章にしてみるとなんてことないんだけど、わたしにとってはその結論になったときにちょっとびっくりしたというか腑に落ちたというか印象的だったというか、なんと言ったら表せるのかわからないけれど。

 

 

 

嫌な気持ちを一緒にいた人を責めるでもなくわたしを責めるでもなく、ちょうどいいところに落とし込めたことが嬉しい。

そういうわたしになっていることが嬉しい。

そう思いました。